50歳の時、中学高校の同窓会なんかがあったりして、昔の友人たちと交流を温めるツールとしてファイスブックを楽しんでいた頃があった。政治的な意見なんかも学生の頃に熱く未来を語り合った延長のように自由に書き込んだりしていた。が、なんかそんな意見や考え方が得体のしれない何かに監視されているような気がして、5年ほど前からフェイスブックはほとんどやらなくなった。
フェイスブックに変わって楽しんだのがインスタグラム。趣味のキャンプネタやワンコネタで繋がり、実際にキャンプ場で偶然お会いしたりする楽しさもあって、今でもキャンプに行った時には投稿を続けている。が、前ほどインスタグラムを楽しんでいるかというとそうでもない自分がいる。
キャンプが大ブームになりすぎて、自由さがなくなってきたということもある。ニッチで変わり者たちの遊びだからこそ、その趣味を共有する人との出会いには面白みがあった。が、ここまで誰しもがキャンプをするようになると、逆にキャンプをしない人達こそがニッチな人たちだと思えてくる(笑)おそらく昔からキャンプを楽しみインスタを楽しんでいた人たちの投稿が減ってきていると感じるのも見当違いではないはずだ。そんなこともあって、なんとなく自分もインスタを楽しめなくなっている。
フェイスブックやインスタグラム、ツイッターなどのSNSの普及は社会を大きく変えた。欲しい情報もリアルタイムに得ることができて便利極まりないと思う。だが、フェイクニュースや大きな力にとって都合の悪い情報は削除されるという現実や同調圧力を生み出す弊害なんかを目の当たりにしてしまうと、もはや何が現実で何が正しいのかさえ分からなくなる。流されてしまいそうで巻き込まれてしまいそうで、時として怖くなることがある。
心の奥底で本当に思っていること、感じていることを自由に表現できない社会になりつつある。欧米では政治議論は当たり前だが、日本ではどこかタブー視されていることがいい例だ。
SNSが自由な社会創造のきっかけとなるか、統制社会のツールと化してしまうのか。
アフターコロナの社会が前者であることを祈る。

北出敏行

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